津軽三味線が独特の発展を遂げたある歴史的理由

舞です。

実は、津軽三味線が現在のような独特の演奏方法に発展してきたのは、歴史的な理由があるそうです。

今回は、津軽三味線の歴史についてお話してくださいました。

 

津軽三味線が独特の発展を遂げたのは?

前回、津軽三味線の師匠との出逢いについて書かせていただきました。好きを仕事にされた方ということで、ご紹介させたいただいた部分もありましたが、

津軽三味線が現在のような独特の演奏方法に発展してきたのには、好きとかではなく津軽三味線を仕事にせざるを得なかった方々の歴史があります。

今回はそんな部分に遡ってみたいと思います。

○門付けってわかりますか

津軽三味線の誕生期においては、この「門付け(かどつけ)」というのを無視することはできません。これは、北陸~東北地方、そして北海道などで、家々の前に立って、三味線を演奏することで、施しを受ける行為のことで、この頃は、この門付けで、生を繋いでこられた方々がいらっしゃいました。「この頃は」と言っても、つい昭和に入って、終戦後もこのような方々はまだまだいらっしゃったようですから、ほんの少し前の日本の状況はこんなだったのです。そして、津軽地方で、この門付けをされていたのは、「ボサマ」と呼ばれる男性で視覚障害を持たれた方々でした。このような人達が生きる術として身に付けていったのがこの津軽三味線だったのです。

○門付けと演奏方法や楽器の形との関係

門付けについては、先ほど述べましたが、そこで施しを受けれるかどうかは、当時は当然、生きるか死ぬかを左右するような問題です。また、門付け以外にもお祭りなどでは、このようなボサマがその技を競っていたそうです。このような状況が今の津軽三味線の打楽器的な要素と繊細な音色を含んだ独特の演奏方法や太棹とよばれる独特の三味線を使うことに繋がったのです。雪や風吹の中、玄関口で演奏して家の中にいる人に聞いてもらうためには、大きな音を出さなければいけません。そして、縁日等で他人よりも目立とうと思うと、大きな音とともにいろいろなテクニックを駆使し、人々の注意を自分に引き付けなければいけません。それが、独特の演奏方法と、他の三味線よりも大きな三味線に繋がっていくのです。

 

その後、津軽三味線は何度かのブームを経て、今は吉田兄弟や上妻宏光さんといった華やかなものになっていきます。しかし、その前には、「ボサマ」と蔑まれながら施しを受けて生を保っておられた、歴史にすらはっきりと残されていない方々のいくつもの音があります。目を閉じて、高橋竹山さんや昔の演者の方の演奏を聴いていると、風吹の中の波の音が浮かんでくるのはやはりその歴史からのような気がします。今あるものは、全て過去の積み重ねの結果なんですね、人も仕事も同じでしょうが。

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